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柿原晋x前田晃伸

VOL.2

柿原晋

株式会社パルコエンタテインメント事業部
音楽事業担当 部長

前田晃伸

アートディレクター/
グラフィックデザイナー

株式会社パルコエンタテインメント事業部
音楽事業担当 部長

柿原晋

前田晃伸

アートディレクター/グラフィックデザイナー

前号に続いて、今年30周年を迎える名古屋クラブクアトロのスペシャルトーク第2弾。今回は30周年のアート・ディレクションを手掛ける愛知県出身の気鋭のデザイナー・前田晃伸氏と全国4つのクラブクアトロと今回取材でも利用した東京・吉祥寺のミュージック・カフェ&ダイニングバークアトロラボを統括する株式会社パルコ柿原晋氏の対談をお届けします。名古屋クラブクアトロのオープン頃から古いお付合いがある二人。話は二人の馴れ初めから、前田氏の仕事観、今回のアート・ディレクションについてと率直に語ってもらいました。
柿原:実は前田君とのつながりは結構古いんですよ。
前田:僕はまだ10代の頃だったと思います。
柿原:1993,4年頃、僕がまだ学生時代に渋谷の『P-HOUSE』というギャラリーを手伝ってまして、村上隆さんがそこのキュレーターみたいのやっていらっしゃったんです。当時、前田君の先輩にあたる名古屋芸大のチームが村上さんの制作アシスタントをしていました。そして僕がパルコに入社して、名古屋に配属になって店舗全体の宣伝販促を担当している時に、学生時代に東京で知り合いだった名古屋芸大チームにアルバイトをお願いしていたんですが、前田君もその中にいたんです。
前田:そうなんですよ。使えないバイトの代表として(笑)。
柿原:その販促担当だった時に、アストロドームというプラネタリウムで『ゲンズブール・ナイト』ってイベントをやったんですよ。いとうせいこうさんや川勝正幸さんを呼んで、コンサートとトークみたいなのを。その時にロビーの装飾を前田君たちにやってもらったのを覚えています。当時関わってくれた人達は、今第一線で活躍している人たちが多いですよ。横山豊蘭っていう書道家もその年のアーバナートの大賞を獲って、名古屋クアトロで書道ライブをやりました。
前田:当時は僕も、バイトじゃなくても名古屋パルコの周辺にいましたからね。タワーレコードに行ったりとか。
柿原:何か昔のものを掘って、違う価値観をそれに与えていくみたいな。そういう自由度を持ってる集団がこの名古屋芸大チームで、それで仲良くして何かやってた。若干保守的な印象のあった名古屋のシーンに、風穴を開けたいなっていう気持ちもありました。

柿原晋x前田晃伸

柿原:前田君は音楽からデザインの道に進むのに、どんな道を辿ったの?」
前田:音楽からで考えると、レコードジャケットはアート的なものとしての影響が大きかったです。例えばソニック・ユース。ジャケットの写真が実はゲルハルト・リヒターの作品だったりとか。好きなバンドを音楽だけでなくいろんな側面から見て、新たに知ることは多かったです。あとはビースティ・ボーイズですね。ミュージシャンがどんどん得体の知れない集団になっていくのが面白かった。彼らは雑誌を作って、レーベルも大々的にやって。これは僕が仕事の進路を決めるにあたってとても影響を受けました。
柿原:ヒップホップの存在はやはり大きかったんじゃないかな。
前田:とても大きかったです。あと黒人的なカルチャー以外で何かを塗り替えたというのは、ビースティ・ボーイズの功績だと思います。ロックが好きな人もビースティ・ボーイズを聴いてヒップ・ホップに近づけたと思うし。
前田:仕事上で言うと、マイルス・デイヴィスとジョージ・クリントンをアート・ディレクションの先生としていつも意識しています。マイルス・デイヴィスのライブを観ると、マイルスはものすごく怖いんですよ。で、バンドメンバーに威圧的に指示するわけです。その部分は別に良いと思ってないんですけど(笑)。それはなんか「ちょっと先生それはやりすぎじゃないですか?」と思うわけで。だけどマイルス・デイヴィスのステージって、彼がいてもいなくても音がマイルス・デイヴィスになっていて。で、ご本人登場!って、ちょっと出てきて盛り上がるんですけど。あの全体を取り仕切っていくような感覚はすごいなあと。
柿原:バンドメンバーがそれぞれマイルス観を持っていて、ある意味忖度している部分もあるのかもしれない。それによって、自然とマイルスになってしまうみたいな。
前田:ジョージ・クリントンはまたタイプが違うんです。彼の周りには彼よりできる人がたくさんいて、多分彼はアイデアを出すだけで、それを形にする人が別にいるんじゃないかと。彼自身はスター性を伴っているから、みんな彼の側にやってくる。
柿原:そういう意味では村上隆さんも似た部分があるような気がする。日本画の琳派や漫画の世界も似てるのかもしれないけど。分業制のようなもの。けどやっぱり村上隆さんの作品になっている。近いものがあるかもしれない。

柿原晋x前田晃伸

柿原:ライブハウスという制限がある空間で、場内の装飾とかもやってもらおうとかも思ってるんですが、ちょっと突き抜けたものをやってもらいたいなという気持ちはありますね。
前田:ビジュアルの部分はイラストレーターのオオクボリュウ君と一緒にやる予定です。最近だと彼が一番面白いなと思うのと、どんどん作風も変わってきていて、しかもオリジナリティーを感じる存在です。一見可愛らしい作風ですけど毒っ気があったり、なんかこう懐かしいニュアンスもあったりしつつ、最終的にはモダンな着地になっているっていうのが結構重要です。
柿原:とはいえ会場内の壁面とかにしばらく残るんで、ある程度色褪せない普遍性は若干持ってていいかもしれない。
前田:普遍性、あるいは強度とも言えますね。そういうところを彼なら表現してくれるんじゃないかと思います。
柿原:東京と比較すると名古屋はライブハウスの数も少ないから、相対的にクアトロの影響力が大きいというのはメリット。
前田:前例がないことにチャレンジして独自な動きを活発にしていけば、なんか面白くなっていくような気はしますけどね。ライブハウスとしてのポリシーを持って、それがちゃんと伝わるようにうまくやっていけば場所は関係ないと思います。どうブランドを作っていくか。
柿原:名古屋クアトロでどんなイベントやライブを企画してみたい?
前田:最近アジア近辺が結構面白いような気がします。タイ、韓国、シンガポールとかのアーティストを集めてみたいですね。ヒップホップやエレクトロニックなものが多くて、そういうのを集められたら面白いかな。88Risingっていう人気のあるアジア系アーティストのレーベルを聴くと、もう普通に英語でみんな歌ったりしてます。名古屋でそんなアーティストと一緒に何かやれたら面白いですね。音楽の中心は今やアメリカから揺るぎないですけど、それだけじゃない部分をちゃんと見せていくスタンスは必要だし。
柿原:31年前、渋谷のクアトロがオープンした時のキャッチフレーズが『オルタナティブ&ワールド』だったんですよ。オルタナティブなところからスタートしてるライブハウスなんですよね。当時レーベルもやっていて、ワールドミュージックやオルタナティブ・ロックをリリースしていた。原点回帰というか、もっとオルタナティブな部分を再認識しなくちゃいけないですね。

Interview&Text/福村明弘
Photo/福村明弘

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